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【ふたり暮らし】家事はぜんぶ自分事

くろありの日常

先日、職場で雑談をしていた時にとっても驚く話がありました。

十人十色と言うように、おうちも十家あればそれも十色なんですね。

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ふたり暮らしの生活:しあわせのカタチ

驚いた話とは、あるカップルの家事生活について。

話のきっかけは忘れてしまいましたが、内容に衝撃を受けて物凄く驚いたことは確かです。

そのカップルはギリギリの20代。

10年近い付き合いになるそうですが、こんなことが当たり前のルーティンになっているそうです。

  • 彼女は彼より早く起きて遅く寝る
  • 毎朝、彼女は彼の着替えを用意し並べておく(コーディネート・天気も考慮済)
  • 彼女は彼が帰ってくるまで起きて食事の用意をして待っている(夕飯も食べずに)
  • 家の事は全て彼女がする

彼は生活のほぼ全てを彼女が行ってくれるそうで、自分はほとんど何もしていないと話していました。

親や祖父母世代ならともかく、この現代にそんなカップルが存在するとは…

その生活スタイルがふたりの幸せのカタチならそれで良いと思いますが、くろあり家とは全く違うスタイルに、ただただ驚きでした。

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家事は分担しません:家の事は自分事

くろあり家では家事の分担はありません。

家事は気付いた方が、気になる方が、やりたい方がやる。というスタンスです。

なぜ分担しないのか?その理由は3つ。

  • 家事は自分の事だから
  • 負担が増えるから
  • 担当者の仕事(家事)に不満があると諍いの種になるから

家の事と書いて家事と言いますが、食事・掃除・洗濯などなど…それぞれ自分自身の生活に必要な事ですよね。

相方がいなければ自分で自分の世話をするのに(しなければならない)、結婚したら世話役と世話される役ができてしまうのって不思議ではないですか?

自分のことは自分でするべきだけど、実際にするには時間やタイミングもある。

だから、くろあり家ではできる方が、好きなように、できるタイミングで自分の事のついでに2人分しているだけという感覚で家の事をしています。

はっきりとした分担をしないのは、くろありもしろさんも決めたことはきちんとやりたいと考えて行動したくなるタイプだから。

分担すると、疲れていたり、忙しい時や体調が悪い時でも担当は担当と頑張りすぎてしまうのが目に見えていました。

ふたりで暮らすのに、やらなければの呪いをかけるのも、呪いにかかることも嫌なのです。

それに、ひとり暮らし経験者だからこそ何にでも自分の合格ラインというものがあるもの。

自分の合格ラインに届いていない家事の結果を目にするのは不満や小さな疲れが積み重なっていきます。

担当者に要望を伝えるのも、自分で不足を補うのも、ちょっとしたことなんですが積み重なると負の要素になってしまいます。(くろありはこういう事にモヤつく面倒くさいタイプです(笑))

分担でなければ、自分の事としてやればいいだけになり不満の種にも芽にもなりません。

むしろ、してくれたことに素直にありがとうと思えます。

家事を分担しなくて良かったこと3つ

家事を分担しないと決めて始めたふたり暮らし。

最初はいろいろと相談することも多かったですが、今はなんとなくのカタチができています。

掃除・洗濯はしろさんメイン、食事・お風呂掃除・レジャーや行事ごとはくろありがメインでしています。

分担しなくて良かったなと思うことはこんなこと。

  • 家事遂行のプレッシャーを感じなくて済む
  • 相方の家事に不満を感じにくい
  • 相方に感謝の気持ちを持てる

分担しない、という事は極端にいえば家事をしてもしなくてもいい。ということです。

家の事はすべて自分が生きるのに必要なことです。

自分ができる時はやればいいし、疲れたとき、時間がないとき、余裕がないとき、やりたくないとき、そんな時は頑張らなくていいのです。

ふたりだけの暮らしだからできることかもしれませんが、何かに急かされるように家事をしなくていいというのは本当に気楽です。

相方がしてくれる家事にも不満を感じることがまずありません。

何かに不満を感じるのは自分の価値観や感覚の問題だから、足りないことがあるならば自分のタイミングでできる時に自分がその部分をやればいいだけ。

できる時は自分の事のついでに相方の事もする、それが家事になります。

相方も自分の事と一緒にやってくれていると考えると、相方の家事活動には本当にありがたみしかありません。

こんなカタチで暮らせるのは、しろさんがちゃんとした生活をする自立した人だからということも大きな要素だと思っています。

くろあり家では四六時中、ありがとうの嵐が巻き起こっています。

くろあり家のふたり暮らし:夫婦という他人

結婚したことで始まったふたり暮らしも早1年。

くろありが血縁者以外の誰かと生活するのはしろさんが初めてでしたが、この暮らしにもだいぶ慣れてきました。

生活していてふとした時に感じるのは、やっぱり私たち夫婦は他人同士だということ。

どんなに長く一緒にいても、くろありはくろあり。しろさんはしろさん。

ドライに聞こえるかもしれないけれど、くろありはこの感覚での暮らしがちょうどいいと感じています。

他人といっても、どうでもいい他人ではなく、夫婦という他人であり、お互い尊重し助け合う存在です。

さわぐちけいすけさんのコミックエッセイ『妻は他人 だから夫婦は面白い』が面白くておすすめなんですが、この感覚に近いものがあります。

くろありにとって、ふたり暮らしとは隣りで擦れ合うか合わないかくらいスレスレのところを並んで歩いていくような感じ。

それぞれ自立して自分の足で歩いているけれど、手を伸ばせばすぐに届く位置を歩いている。

お互いを気にしながら、歩調や歩幅を合わせたり、転びそうになったら助け合いながら進んでいく。

人生っていつ、なにが起こるかわかりません。

この先、どのくらいの時間をふたりで過ごすことになるかはわかりませんが、くろあり家らしい暮らしをしていきたいと思います。

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